100日目―手に入れたものと失ったもの―

「さて、と」
 蛍には部屋の覗き穴から外を警戒するように頼んである。
 梓用の穴に合わせて腰を落としている蛍に後ろからちょっかいを出したいという衝動をなんとかこらえて、梓は起動中だったパソコンを迅速に動かしていく。
 異常に気付いたアイリーンがサーバールームに到着するまでざっと2分ほど。そのリミットで、プレーンな幹部権限をどれだけ強化保護できるかに今後のすべてがかかっているわけだが。
 こきこきと首を鳴らして、梓は凄絶な笑みを浮かべた。
「Aシリーズ末妹、野茨梓。参るってね」
 どこかであかりを弄んで眠っている『お姉ちゃん』に牙をむくためのキーを、叩き始める。
 直後に、けたたましいアラームの音が所内に響き渡った。

■■■

「やってくれたわねぇ………っ‼」
 そして、警報が鳴り響いてから1分30秒でメインサーバーまでたどり着いたアイリーンは、悪夢のように輝く『朝宮蛍』という幹部名を殴りつけた。
 ディスプレイがきしむ。その間にも流れるようにログが追加されていき、さらに蛍の権限が強化されていく。
「これは……どうなってるんですか?」
 まだ半分寝ているあかりに怒鳴るように、アイリーンは叫んだ。
「どういう理屈か蛍さんの名前で権限作って、それに過去の梓の権限を吸収させて肥大化させてるのよ! しかもこの感じだと、主要なセキュリティも乗っ取られてる……。あいつ、やっぱりそこかしこに穴を隠してやがったわね……っ!」
「………つまり?」
「大ピンチってことよ!」
 それからしばらくは、なんとか抵抗しようとキーを打っていたアイリーンだが、ある臨界点を超えてぴたりとその指が止まる。
 ―――わかっていたはずよね。
 そう、わかっていたはずだ。
『精神的に不安定』という理由だけで危険視される梓の本質、全リソース一点集中の真骨頂はここにある。
 アンバランスな特化型、ピーキーさが際立つ、といえば不良品のように聞こえるが。
 梓のフィールドの引きずり込まれてしまえば、誰一人あの小さな悪魔に太刀打ちできやしないのだから。
「これは確かに………首輪が欲しくも、なるわよね」
 ほんの数分で取り返しのつかない領域を根こそぎ奪い取られて、アイリーンはがしがしと頭を掻いた。
 そして。
「……………あれ?」
 いつの間にか、あかりの姿がなくなっていることに、気づいた。

■■■

 なにやら黒々とした笑みを浮かべてキーボードを叩きまくっている梓に気付かれないように、蛍はそっと扉を開けた。
 左奥の廊下から現れた、ずっと焦がれていた名前を呼ぶ。
「あかり……」
「結局、お姉ちゃんたちの勝ちだね」
 微苦笑を浮かべて、あかりは昔を懐かしむように目を細めた。
「お姉ちゃんは、勝つまであきらめないから、こうなる気はちょっとしてたんだ」
「当然、私を誰だと思ってるのよ」
「でも最後のほう諦めかけて泣いてたよね」
「なに、四の字固めでもされたいの?」
「いやだよ、あれすごい痛いもん」
 少し前までは、毎日がこんな感じだった。
 蛍が快活にものを言い、それにあかりが振り回される。あるいはたまにあかりが茶々を入れて、蛍が首を締めたりする。
 二人とも、もうその日々が戻ってこないことを知っている。
 だからこれは、ただの通過儀礼だ。
「会えてよかった、お姉ちゃん。助けに来てくれてありがとう」
「遅くなってごめん」
「ううん、嬉しかった。……でも、ごめんね。私はお姉ちゃんと一緒には行けない」
「………そう、ね。やっぱり、そうなるのね」
「うん。お姉ちゃんにもわかるでしょ?」
 晴れ晴れとした口調で、あかりは笑う。
 たぶんサーバールームで、唐突に消えたあかりを探して泡を食っているアイリーンを思い出して、きゅう、と胸の辺りが締まる。その心だけに従って生きていければ、幸せだと断言できるから。
「私は、主様を愛してる。だからあっちについていくよ」
「そっか」
 蛍も、これ以上言葉を重ねたりはしなかった。
 気持ちは分かった。
 蛍だって、今から誰か一人しか連れ帰れないってわかったら、手を取るのはあかりではない。薄情だと言われても、おかしくなったと罵られようと、この扉の向こうでキーを叩く小さくて愛しい女の手を掴むだろう。
 それでもやっぱり、悲しいものは悲しくて。
 不格好にしか作れなかった笑顔で、必死にあかりに笑いかけた。
「元気でね」
「うん。お姉ちゃんも、元気で」
 そして、ある日の深夜。
 朝宮あかりと朝宮蛍は、愛しい者の手を取るために、互いに背を向け歩き出した。

■■■

「ん? なんだこれ」
 アイリーンの涙ぐましい抵抗を丁寧にへし折って所外の追跡網まで破綻させた梓は、破壊活動の隙間でちょこちょこと動き回っている不自然なアクセスを感知した。
―――所外からのアクセス?
 そんなものが深部を漁っているなんてありえない。ありえてはいけない。だってそれを許してしまえば、人体実験等のデータをまるきり抜かれてしまう。
 でも、まあ。
「もう、どうでもいっか」
 一応痕跡はパソコンに保存しておいて、梓はいそいそと立ち上がった。
―――さっさと逃げて、たくさん蛍ちゃんに愛してもらおう。

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